「若者よ、政治を心して監視せよ」

猛烈な台風が立て続けにふたつもやってくるって、いったいどういうこと? もちろん気候変動、地球温暖化の影響も大きいんだろうけど。

いや、けどきっと、昨日も書いたけど、天は権力者たちの悪政に怒ってるんだと思うよ。

平気でウソをつき、都合の悪い証拠を隠蔽し、指摘されてもヘラヘラ笑って誤魔化す。

こんなクズどもの統治する国で経済成長とか、できると思う? 国民も頑張ろうとは思うけど、お腹の底から力が出てこないよ。

恩師は「若者よ、政治を心して監視せよ」って言ったけど、政治を厳しく監視すべき人たちが、権力者のクズどもの補完勢力に成り下がってしまっている今、天が怒り狂うのは当たり前じゃね?

大聖哲が「民の力、弱し」と嘆かれたとおりの日本の現実だよ。

いいかげんみんな気づくべきなんじゃないの?
昨日の予算委員会、なんだあれ。
閣僚席に座ってた赤羽さん、そのうちブチ切れるんじゃないのかな。正義の怒りを人一倍持ってる方だと思うから。

何しろ庶民の街、尼崎の小選挙区を勝ち上がってきた人だからね。関西のおばちゃんたちからの突き上げも相当のモノだろう。

※尼崎選出は中野さんでした。赤羽さんは神戸市北区などの兵庫2区

そろそろ民衆が一斉蜂起すると思う。

「私が嘆(なげ)くのは、一宗が滅びることではない。一国が眼前でみすみす亡び去ることだ。宗祖大聖人のお悲しみを、私はひたすら恐れるのだ。今こそ、国家諫暁(こっかかんぎょう)の時ではないか!」

(書評)『開かれた対話と未来 今この瞬間に他者を思いやる』 『オープンダイアローグがひらく精神医療』

この2冊の書籍に対する書評、ものすごく染みるんだよね。なんでかって考えたら、こないだまで、一方的にお前の言ってることは間違ってる、と上から目線でコメントされ、それに反論したらブチ切れて向こうから勝手にブロックして去っていった「マウンティングおじさん」のいじめに遭ってたから。

仕事でけっこう一緒になる人だから、まあ穏便に済ます手もあったんだろうけど、僕はあなたのその行為に嫌悪感を覚えていて、できればやめていただきたいと思っている、ということをそろそろ伝えなくてはいけないと思っていたので、ああいう反応をしたんだと思う。

毎回Facebookでの書き込みに、オグラの個人的な備忘録というか脳内妄想のメモに過ぎないので、あんまり真に受けて現実的、批判的なコメントをお寄せいただいても当方は困惑するのみです、みたいな但し書きを入れるのもアホみたいだしね。あたしの書き込みを読んでる人たちは、そんなこと、いうまでもなくとっくに理解してくれてると思ってたもんで。

いまなら書いてもいいかなと思うけど、例のマウンティングおじさんのページ、取り巻きみたいな仲間の人たちに囲まれてて微温的なやり取りが展開されてるんだけど、たまに反論とかを書く人がいると、マウンティングおじさん、猟犬よろしく完膚なきまでに叩きのめしてるんだよね。見ていて痛々しいほど。

まあ自分にものすごく自信があるんだろうね。自分のやってきたこととか、自分の考えとか。それは別にどうでもいいんだけど、人との関わり合いのなかで、それをそのまま相手にぶつけるっていうのは、まるっきり違う話だと思うんだけどね。まあ本人はそういうつもりはないんだろうけど。でも僕がことあるごとに繰り返し書いてるように、人って当たり前だけど自分を中心に生きてて、自分を基準に物事を考えてる。それはまあ生き物としては当然のことだと思うけど、僕はそれを乗り越えることこそがいまの人類の最大の課題だと思ってる。自分や自分の家族や自分の住む地域や自分の所属する国の利益ばかりを考えるから、いつまでたっても国際的な争いごとって絶えない。

自分の不利益になることでも、相手のためと思えば、実行に移す、ということができないとこれからの人類の歴史って暗いと思う。そう書くとマウンティングおじさんは、じゃあいますぐお前の全財産を処分してアフリカの飢餓で苦しむ子どもたちのために尽くせよ、っていいそうだけど、まあなかなかそこまではできないけど、自分ができるかできないかのギリギリのところで頑張る、自分ができなかったことをできるように、少しずつできることの領域を広げていく、っていうのが大事なんじゃないかと思う。

まさに、他者を思いやる。
ここにも何度も書いてるけど、口でいうのは簡単だけど、実際に行動するのは至難の業だよ。安直な自己犠牲じゃなくて、相手を最大に高めつつ、自分も成長し、考えを深め、やれることを増やしていく。たぶんそれって仏法に限りなく近づいてる気がするんだ。

あんまり関係ないかもしれないけど、こないだ、そう、いま画像整理やってる成田市の西の丘の上にある高校の球技大会で、校庭の端の桜並木を歩いてたとき、

すべての命は等価だ

って天啓が降りてきた。別にだからって微生物を踏んで殺すのはやめようとかいうつもりはなく、すべての命は同じように尊いのだ。人間の命だけが尊く、微生物が劣っているということはない。いまあるがままにそれぞれの命はそれぞれのありようのままに尊重されるべき、ということかな。

そして今日、画像整理やりたくないなあって思ってたら、こんなことを思った。撮影したものの結局削除するコマも、消さずに残して納品するコマも、すべては命だ、同じように尊い、と思った。もうちょっというと、消すコマがあるからこそ残すコマも生きるというか。どちらも限りなく慈しみながら画像整理をやるべきだ、と気づいた。

少し寝る。朝までかも。笑

(書評)『開かれた対話と未来 今この瞬間に他者を思いやる』 『オープンダイアローグがひらく精神医療』:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/DA3S14196352.html

【愚痴】罰?かも。。

なんかさっきバスケの撮影中に大阪のギャラのいい写真屋さんから、立て続けに2本、電話がかかってきて。別々の担当者の方から。用件というのは10月中旬の撮影予定が「クライアント」の都合で延期になったというもの。

どちらも、延期したあとの日程を告げられたのだが、当然のようにどちらの日程もすでに撮影で埋まっており。

しかしよりによってギャラのいい写真屋さんから、立て続けに「撮影中止」の連絡がこなくてもね。

こういうのを罰って云うんじゃないかと思った。

思い当たる節がないわけじゃないのがツラい。笑

いや、しかし、そのままメソメソしてるわけにはいかない。大悪おこれば大善きたる。しっかり祈って撮影中止になった2日間も含め、10月はすべて撮影で埋めてやるぞ。

今日の撮影もあと少し。男子のバスケ決勝。
僕の人生、ほんのわずかな時間でもいいから女の子にキャーキャーいわれてみたかった。なんつて。

とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし

とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり、何にとしても仏の種は法華経より外になきなり
(法華初心成仏抄 p552)

【 通解 】
とにもかくにも、法華経を強いて説き聞かせるべきである。信ずる人は仏になり、謗る者は毒鼓の縁となって仏になるのである。どちらにしても仏の種は、法華経よりほかにないのである。

池田先生は、だれに対しても深く敬い、法華経を説き続けた不軽菩薩の実践について、こう語られた。「上手な話もしなかった。偉そうな様子を見せることもなかった。ただ愚直なまでに『下種』をして歩き回った。その行動にこそ、3世にわたって『法華経』が脈動しているのです。」
法を聞いた相手が発心する「発心下種」も、発心しなかった「聞法下種」も、功徳は変わらない。
「下種」といっても、話しにくい相手や、顔を思い浮かべるだけで、”この人はきっと、信心しないだろうな”と思う人もいるかもしれない。しかし、折伏は相手ではない。自分の一念がどうかで、決まる。
仏種を植える以外に、相手を成仏へと導く道はない。ゆえに、「強いて」と仰せなのである。これは「強引」ということでなく、「勇気をもって、粘り強く」という意味である。「手練手管も方法もなにもありません。 ただただ、自分は南無妙法蓮華経以外に何もない!と決めることを、末法の折伏というのです」戸田先生は指導された。日々、友の幸福を祈りながら、力の限りに仏法の偉大さを語っていこう。
(御書をひもとく p152~153)

「誓願」こそ地涌の菩薩の本領

山本伸一は、地涌の菩薩の本領とは何かについて、掘り下げていった。
 「菩薩の本領は、『誓願』ということにあります。そして、地涌の菩薩の誓願とは、『法華弘通』にあります。ゆえに、心から周囲の人びとを幸せにしきっていく、広宣流布への『誓願』の唱題が大切です。厳しく言えば、『誓願』なき唱題は、地涌の菩薩の唱題ではないのであります」
 「誓願」には、魔に打ち勝ちゆく、仏の生命のほとばしりがある。
 伸一は、全同志が、一人も漏れなく、大功徳に浴してほしかった。病苦、経済苦など、すべてを乗り越えて、幸せになってほしかった。そのための祈りの要諦こそ、「広宣流布への誓願」なのである。
 皆、それぞれに、さまざまな問題や苦悩をかかえていよう。その解決のためには、″広宣流布のため″との一念が大事になるのだ。
 たとえば、病に苦しんでいるならば、″この病を克服し、仏法の正しさを必ず証明します。広宣流布に、自在に動き回るために、どうか大生命力をください″との誓願の心が、克服の大きな力となるのだ。
 題目を唱えれば、もちろん功徳はある。しかし、″病気を治したい″という祈りが、深き使命感と一致していく時、自身の根本的な生命の変革、境涯革命、宿命の転換への力強い回転が始まる。
 広宣流布を誓願し、唱題に励む時、自身の胸中に、地涌の菩薩の大生命が涌現し、日蓮大聖人の御命が脈動して、己心の仏界が開かれるのである。 そこに、境涯革命があり、宿命の劇的な転換も可能になるのだ。
 また、弘教など、広宣流布のための挑戦課題を成就せんと悩み、唱題すること自体、既に地涌の菩薩の生命である。ゆえに、その実践のなかで、個々人のさまざまな苦悩も、乗り越え、解決していくことができるのだ。
 地涌の大生命という赫々たる太陽が昇れば、苦悩の闇は消え去り、幸福への確たる道を、雄々しく歩み抜いていくことができる。

小説 新・人間革命 24巻 厳護47

世界広布新時代 第46回本部幹部会|創価学会公式

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いままで門外不出で秘密のベールに包まれていた(?)、創価学会の「本部幹部会」が、なんとYouTubeで見ることができますよ~! 期間限定ですけど。めちゃめちゃ画期的なので、お知らせいたします。30分の動画です。知らない人が見ても、やや退屈かもしれないけど。。(9/13までの限定公開です)